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ゴジラと同い年!
2006.05.25


こんにちは、事務局の吉澤です  
 
1954年に始まった東京モーターショーは、来年で記念すべき40回目の開催を迎えます。 
って、ちょっと待ってください。 2007-1954=53 
…あれ?計算が合いませんよね  
 
今回は、開催年と開催期間の裏話をご紹介します。 
 
東京モーターショーが始まった1954年は、あの『ゴジラ』の第1作が公開された年。 
名称は「全日本自動車ショウ」でした。 
 
第1回「全日本自動車ショウ」ポスター 
 
「ショウ」という言葉に歴史を感じてしまいますね。 
おや、でも英語表記は今と同じ「TOKYO MOTOR SHOW」。 この当時から国際モーターショーにしたいという強い意気込みが伝わってきます  
 
今は秋に開催されていますが、第1回~第4回までは春に開催されていたんです。 
というのも、当時のショーは宣伝としての意味合いが強く、より多くの人に来場してもらうため、春の行楽シーズンを当て込んでこの時期に開催されていました。 
 
その後、自動車メーカーのモデルチェンジの時期が秋に多くなったことなどの理由で、第5回ショー(1958年)から秋に開催されることになったんです。 
 

それから第20回ショー(1973年)までは毎年秋に開催されましたが、第21回ショー(1975年)から隔年開催となります。 
 
第21回「東京モーターショー」ポスター 
 
その理由は、1973年に勃発した、第4次中東戦争に端を発した第1次オイルショック!原油公示価格が大幅に引き上げられたんです。 
私はちょうどこの年に生まれたので実際に体験はしていませんが、当時、トイレットペーパーや洗剤の買い占めなどがあって、市場が大変な混乱状態だったようですね。 
 
この衝撃は自動車業界を直撃。 その影響で、1974年に予定されていたショーは中止となってしまいました  
 
隔年開催になったとはいうものの、自動車業界への関心は高く、入場者は年々増加。 
より広い場所を求めて、会場を日比谷公園(第1回~第4回)→後楽園(第5回)→晴海(第6回~第27回)と変えていき、1989年に国際スケールの本格的インドア展示場として完成した幕張メッセ(第28回~)に移りました。 
 
 
実は、幕張メッセのこけら落としイベントは東京モーターショー!その時のエピソードでこんなものがあります。 
 
混雑した会場内は溢れんばかりの人で混み合い、すり足でしか歩けなかったそうです。 
会場には赤いじゅうたんが敷かれており、すり足でこすれ靴に付いたじゅうたんの赤い繊維が会場外の道に落ち、幕張メッセから最寄りの海浜幕張駅までの道を赤く彩ったそうです!  
 
 
そして幕張メッセに移って2回目の第29回ショー(1991年)では、200万人という過去最多の入場者数を記録します。
限られた会場面積の中で混雑を緩和し、来場者に楽しんでいただけるショーを目指すべく幕張メッセに移ったのですが、このまま来場者が増え続けると当初の目的が達成できません。 
 
第29回「東京モーターショー」ポスター 
 
その頃、世界的には乗用車と商用車の分離開催が主流となっていました。 
例えばドイツではフランクフルト(乗用車)、ハノーバー(商用車)といった具合に、東京モーターショーでも「乗用車ショー」と「商用車ショー」は、「ショーの性格も異なるのでは?」という意見が出はじめ、第33回ショー(1999年)から、奇数年に「乗用車・二輪車ショー」、偶数年に「商用車ショー」を交互に開催することになったのです。 
 
第33回「東京モーターショー」ポスター 
 
そして次回の「第40回東京モーターショー」からは、すでに前回お話しした通りすべてのカテゴリーを一堂に集める総合ショーとして隔年開催となります。 
 
 
同い年のゴジラは、残念ながら2004年の『ゴジラ FINAL WARS』で終わってしまいましたが、東京モーターショーはこれからも頑張り続けます!  
 

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モデレータ紹介
東京モーターショー事務局の吉澤です!10月の第40回東京モーターショー開幕に向け、事務局も準備にフル回転! ブログではフラメンコのような“熱い”情報をお届けしていきます。お楽しみに!
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